水溜まり。

| CALENDAR | ENTRY | COMMENT | CATEGORY | ARCHIVE | LINK | PROFILE | RECOMMEND | OTHERS |
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| | - | - |
息を吐く


 
窓の外
ふるえていた風が
いつの間にか足元を這い回り
行き場をなくしてうろうろとしているので
夕刻、わたしは
ゆるやかな地平の傾斜に沿って
飛び込んでくるひかりの粒の中
内側へ少しずつ
丸く なっていく
  
そんな ふうにして 
またひとり
人がいなくなったと
音のないニュースの字幕は
寂しいことばかりを隠そうとするから
六畳の
畳の上では燃えはじめた陽の色が
どんどんと
濃くなっていく

目の、奥の奥の深くの方では
なにやら得体の知れない生き物が
騒ぎはじめているというのに
わたしはいつまで経っても
覚束ないまま


 
産声を上げない朝には
季節が
芽吹くことはなく
寄りかかる砂壁に
忘れてしまわないようにと貼り付けにした
思い出の四隅ばかりが
色褪せていってしまった

ぽろ と、畳の隙間には
どうしようもない程の砂粒
が散乱していて
わたしはほんとうに
ほんとうに
どうしようもなくなってしまう
から、

夕刻
にいつもわたしはひとり彷徨って
辿り着いたところで今よりも
少しだけちいさく丸くまるまりながら
息を 吐いている

 ふー 
と、陽が
地球の裏側に
落ちていくまで
息を 吐いている











































| 13:26 | | comments(12) |
スポンサーサイト
| 13:26 | - | - |
Comment








あー恥ずかしい。
メビって結構人に見られているんですね。

うん、私もしりかげるさんの考えも一理ある、というかもとはそういう考えだったわけですからね、理解してないだろと連呼されてしまったけど、最初から理解はしてるんですよね。

それでも一方で、黒木さんが先のコメントで書いている主張も、間違っているとは思いません。やっぱりそういう読み手、特に詩に詳しくない人の場合、たいていそうなってしまうと思います。

なので黒木さんのおっしゃる通り、ケースバイケースなんだと思います。その作品の作者がどういうスタンスで書いているのか。きちっと読み込んでから批評してほしい書き手なのか。別にどんな意見でもどんと来いや、という書き手なのか。もしくは、それ以外なのか。それが分かればすれ違いというのもなくなるし、理想的だとも思いますが、いちいちそんなこと調べている時間なんて、ほんと、ないですもんね。
そこが批評するということの難しさなのかなあと思います。

あと、メビで黒木さんの台詞を勝手に引用してすみませんでした。でもあの引用に基づいた主張があったからあれから議論も少しイイ方向に行ったんじゃないかと思います。
posted by 睡蓮 | 2010/08/21 1:51 AM |
うーんと、なんていうのかな、結局わたしのって単なる精神論だと思うんですね。
それでその精神論は、場所で使い分けしたりもするので、一概には言えないんですね。
読むに値する作品、というのも極端で、作品はどれも読むことはできます。ただ、興味をもてるかどうか、というところなのかな。

本当は、なるべく作者さんの役に立てるようなコメントが出来たらいいんだとは思います。
ただ難しいのは、個々の方向性の違いですよね。それをどこまで尊重できるのかどうかというところで。
わたしが先に言ったメタファだらけの作品〜というのは、得手不得手と、単純に能力の問題であるし、それを楽しむことができないのも、言ってしまえばわたしが悪いんだと思います。

なので、最近では、仮にもしそういった作品にコメントするのであれば、わからないならわからないなりにどこがどうわからなかったのかを言おうとはしています。
ただ、それはものすごくエネルギーがいるので、その時々だったりもしています。
これは、わたしの中で改善していくべき課題だとも思っていますが、まぁそれはおいておくとして、

極論として、考え方のスイッチというのかな、そういうのを頭の中で切替えてしまえば、どんなことでも理解可能だと思うし、納得もできるんですよね。これ、わたしのおかしな性格というか、駄目なところなのかもしれないのですが。

なので、これ言うと話進まないのですが、ケースバイケースですよね。書き手に寄り添うのも、完全に読み手に徹するのも、ケースバイケースなわけです。

もし時間に限りのない余裕があるのなら、文極でもどこでも、作者の方向性を踏まえた上、作風をよく理解した上で、じゃあこんなのはどうでしょう、という風にしていけたらなと思うこともあります。

ただそんなのはニートか大富豪の息子でも無い限り無理なので、現実問題、精一杯にしかできないわけで。

メビリンでしりかげるさんが言っていた批評するということ、あれはもっともだとわたしも思うし、本来そうあるべきなんだろうと思います。
いや違うか、そう在りたい、そう在れたらという願望なのかもしれないですね。

たぶん本当に難しいのはそこではなくて、個々の持つ時間の流れ、そこなんだと思います。
例えばこういう返信ひとつにしても、洒落にならないくらいの時間がかかっていたりします。レスもそうです。お昼休みの合間に、休みを潰してレスをするなんてこともしょっちゅうなわけです。

ほんとうはもっと言いたいけど時間がない(これは言い訳ですね)とか、そういうこともやっぱりあります。
しりかげるさんのコメントを読んだ時に、ああ申し訳ないなってすごく思ったんですね。

その思いと、現実とのギャップがどんどんと広がってしまうから、
難しいですよねって。
選んだ道の中で、どうしていくか、どうすることができるのか、そういうことを含めても、結局わたしはまだまだ未熟すぎるんだろうと思っています。

考え方も、もっと変えていかなくてはいけないですし、批評の在り方も、そうですね、やっぱり幅を広げていったりしなくちゃいけないんだと思います。

返信になっていませんが、

一見して読むに値しないほどつまらない作品、というのはあるとは思います。でもそれすら、考え方ひとつで素晴しい作品になってしまうんですよね。
内実は、読むというよりかは、生まれてくる、生まれていくもののように思います。作品の言葉の端々、奥から、読んでいくうちに湧いてくるような。
きっとそれが生まれてこないものが、つまらない、という結論に至っていまうのかもしれません。
そしてそれが見えたとしても、そこに得るものが何もないと、それもつまらないということになってしまうのかもしれません。

そこから作品とどう接していくのか、そこなんだと思うのですが。
それが、わたしの場合まちまちだったりするので、なんとも言えないです。
少ない時間しかないので、贅沢に考えすぎているのかもしれません。どんな作品だって、得ようとすればなにかしら得ることができると思います。それは自分の考え方次第、ですよね。
でもそれをわかっていながらも、ということですよね。

自己矛盾ですね。
でもこんなことばかり考えているわけにもいかないですし、安い給料で家族を支えていかなくてはいけないし、根本の軸をゆるがすことないようにしなければいけないという現実。

食べていければ幸せという極論と常に対峙している人と、そうでない人とでは。どうしても、考えが変わってしまうのは仕方のないことですが・・・

こういう考えもまた、かなしいことですよね。
posted by mi | 2010/08/20 11:07 AM |
こんばんは。

返信が大変遅くなりすみません。電話線が雷にやられているところにまた雷が落ちて(笑)、ネット環境が最悪でした。

言い訳はこの辺にして。

なるほど。黒木さん(に切り替えますね)の意見だと、まず読むに値する作品がある。それを大前提として、読み手が内実を取ったり意味性を見出したりする。いわば「書き手先行」というやつですね。こういうことでしょうか。
逆に、一見して読むに値しないほどつまらない作品は、(内実を)読むという行為にすら結びつかない、と、こういうことでしょうか。

いろいろ考えて、その意見もアリだな、無視できないなと思いました。しょんぼりはしてません、黒木さんのように、人の意見をきちんと聞いたうえで、自分の意見を述べる。そういう方との意見交換はとても有意義です。

ありがとうございました。
posted by 睡蓮 | 2010/08/20 1:28 AM |
この前家に雷が落ちて(?)しまったみたいで無線LANの状態がおかしくなったらしく、ネットの接続が5分程度しか持ちません。なのでネット環境が正常に戻り次第返信します。遅れますがすみません。
posted by 睡蓮 | 2010/08/02 1:19 AM |
返信遅れてしまいました。なかなか詩関係にエネルギーが湧かず申し訳ないです。

納得してもらえたようでよかったです。

文学極道が文学黒糖になってしまった件については、睡蓮さんの抱いている気持ちは、とてもわかりますよ。(こういう発言も、ちゃんとあそこで発言した方がいいと思うのですが、まぁ一応ここわたしの場所だし、いいかな)

そういうこともあって、黒木の場合わりと、公言として作品コメントを言う場合もあったりします。それが、社交辞令のような、ってやつですね。ただ社交辞令のようなってのは、ちょっと睡蓮さんに対しては失礼でしたね。ごめんなさい。


それで、「どう読めばいいの?」ってコメントについてなんですが、えーと、これは睡蓮さんにきつい物言いなんですが、要はものすごい罵倒だと思ってください。
例えば、映画を見たとします。でもその映画を見終わった後、え、もう終わり?え、これで終わり?結局この映画なんだったの?
というような経験、ありませんか。映画でもなんでも。
それとおんなじで、睡蓮さんのあの作品を読んだ時、え、この作品を作者さんは読み手にどう読んでほしかったの?と、ほんとうに素朴に疑問が湧くんですね。それは、読み、考えることの放棄でもなんでもなく、単純に、最高につまらない結果であり、なにひとつこちら側に手渡されていない為に感じる素直な感想なんですね。

それなりの読み方は、そりゃできます。ええ、どんなニンゲンだって、できると思います。
でもそういう考えを前面に押し出して詩作していたら、ほんとうに、つまらないものばかり生まれてくると思いませんか。
わたしは現代詩とかジャンルよくわからないんですけど、メタファだらけの作品を読んで、普通に、いやよくわからないって思う人間なんですね。

自らの意思のもと、自らの持っているエネルギーを使って読むということは、何かしら得るものがないとキツイんですよね。
好みやらなんやら含めて、読むじゃないですか。それで、もっと深く読んでみよう、もっと深くってもっと深く、って思える作品ってたぶん結構少ないんですよわたしの場合。

睡蓮さんの言い方だと、いくらでも読み様あるでしょ、って言い方だと思うのですが、それ以前に、読む行為自体を発展させていく力が文章にないと駄目なんじゃないでしょうか、とわたしは思います。映像を浮かべるにしてもなんでも。

「どう読めばいいの?」というのは、「読むに値しない」というくらい、キツーい罵倒なんです。
黒木は盛り上げ担当を担っていたのと、爽やかに罵倒を心がけていたので、そこらへん言い方が多少変わってくるわけですね。
あんまりずばっと切りつけると、返り血も酷いですからね。

読み手の質ってのは、確かにその通りだと思います。むしろ今足りないのはそっちでしょうね。
わたしはかなり質が悪いと自分で思っているのですが、そうそう、良くなるものでもないですね。
ただ全力でってくらいです。
でも一つの作品にかけるエネルギーはちゃんと考えないといけいないってのもあるので、極道の場合は、まちまちですね。
一応感じた理由は極力述べるようにはしていますが。

わたしはたぶん、睡蓮さんが思っているような人間ではないと思います。
そんな簡単に尊敬しちゃ駄目です。

なんだかしょんぼりさせてしまったみたいで、ごめんなさい。
では。
posted by mi | 2010/07/28 12:57 PM |
はい、お待ちしています。くそ長くてすみません。文極のほうの返信もまとめ直しておいたのでよろしければ見てってください。
posted by 睡蓮 | 2010/07/27 1:41 AM |
返信はしばしおまちください。
posted by み | 2010/07/26 8:23 PM |
凪葉さんがハンネを変えた理由、納得しました。
私は文極に来てから日が浅いので、凪葉さんがいろいろと頑張っていたことは何となく知っていましたが、その辺の認識がちょっと甘かったみたいです。
作品と作者を完全に切り離して考えるというのも、本来そうあらねばならないとは思いますが、確かに非現実的ですよね。ともかく、納得できたと思います。

私も文極が予想していたところと違い、ちょっと驚いています。最近じゃ「文極が思っていたところと違う」なんてトピックをフォーラムに立てようかとも考えていました。私は文極に1年間ほどロムっていた奴なのですが、「月間最低劣ポエム」の存在や、いくら罵倒耐性があるとは言っても罵倒されるのにはやはり緊張があったりして、今の今までずっと書き込めずにいました。いわゆるチキンですね。ただ実際来てみると、それほど罵倒もされないし、それよりも驚いたのが、最近すごくポエム的な(それこそ歌詞みたいな)作品が投稿されていたことですね。それよりもさらに驚いたのが、そういった作品に対し罵倒した側が粛清されていたことですね。確かに罵倒一言じゃダメだとは思いますが、ここ(文極)ってそういう場所じゃなかったの、と。
すみません、文極の話は文極へ書くべきだと思うのですが、私はあまり事を荒立てて議論になることが好きではないので……。

やっぱりコメントの話もしておきますね。
私が以前「好きなように読めばいい」と言ったのは、「どう読めばいいの?」という疑問に対してのただの答えです。「どう読めばいいの?」と聞かれて、「私はこういう意図で書いたから、こう読んでほしい」とは、答えられません。つまり、「好きなように読めばいい」というのは、単純に読み手側になった時の考えなんです。よく、「間違った読みだったらすみません」と言う方がいますよね。私は読み手になった時に、こういうことは言わない。だって、どう読むかなんて、自分が好きなように、自由に読めばいいから。凪葉さんの言葉を借りれば、言わずもがなというやつですね。だから私は、「何でも読み手に想像させてしまえばいい」とは思っているわけじゃないし、勘違いもしていないです。以上が、私の真意です。うーん、上手く伝わればいいのだけれど。
ただなぜか私は、文極に書き込みをする際には、どこか緊張しているのか、自分の思うように書けないことが多いんです。単なる言い訳になってしまうと思いますが。だからたびたび凪葉さんにレスを付けさせてしまったり、社交辞令のように捉われてしまうことがあるのだと思います。もっと文極での振る舞い方をよくしたいと日夜心を砕いてはいるのですが、なかなか上手くいかなくて悩んでいます。
あと、なぜ私が「凪葉さんは『どう読めばいいの?』というコメントをするような方ではない」と思ったのかと言いますと、私は「どう読めばいいの?」というコメント自体に、疑問を感じるからです。確かに何の読み方もできない意味不明な作品というのは存在するかもしれませんが、詩は言葉というツールを使っている限り、無理矢理でもこじつけでも、それなりの読み方はできるはずだと私は思います。そういうこともせずに、ただ最初っから「どう読めばいいか分からない」とか「意味不明」というコメントをすれば、読むのをサボっていると思われても仕方がないんじゃないか、と私は考えているわけです(もちろん、完全な主観ですが)。文極って、書き手の質が求められるのは当然だけど、読み手の質も求められるのもまた当然ですよね。それで、まさか自分の好きな詩人さんがそんなコメントをするわけない、と。まあこれは私の自分勝手な決めつけでしたけど……。

うん、以上が私がずっと考えていたことの全てです。もっと向こうでも素直に言えればいいのにと思います。長くなってしまいすみません。

私の好きな詩人さんは凪葉さんを入れて今のところ2人います。もう一人は如月さんです。
posted by 睡蓮 | 2010/07/24 10:30 PM |
どう言えばいいのかな。
わたしのことをこの人、と思う人が居るということに驚きです。

まず、元凪葉です、なんてこと言ったら名前変えた意味が無いので言えないです。
嘘をついたことは悪いと思っていて、そのことで睡蓮さんを傷つけてしまったのはほんとうに、ごめんなさい。

きちんとした理由、というものかどうかわかりませんが説明をしますと、

わたしは文学極道という場所が好きでした。別に今も嫌いではないですし、ちょくちょく覗いています。それで、あの場所を守りたいなぁという気持ちが強くあって、"文学極道らしさ"というものが失われることのないようにって、わたし自身ほとんど生身でぶつかっていったようなやり方をしていたんですね。変な言い方ですが、田中さんは匿名性云々について以前言っていましたが、そうでなくても、人は傷つくし、とても疲れるんですよね。真剣にレスしたり真剣にぶつかった人ならこういうのわかると思うのですが。

それで、まぁそんな感じでサポートユーザーにも一応なって、凪葉で頑張ってたんですが、疲れてしまったんですね。それと、凪葉って名前があると、作品よりもまず名前で見られてしまう、んじゃないかと思って、それだと作品単体の評価がしっかりと得られないなと思い、そういうの含め嫌になったんですね。

凪葉は、一から文学極道で育ったようなものですから、はじめの酷い部類の作品を見てきた人からすると、何か違った作風を出すと、試しているだとか、背伸びだとか、どうしたって人間なのでそういう風に思ってしまうんじゃないかなって思うんですね。
わたしはそれが嫌なんですね。

実際、黒木やNOIRは別に試しでもなんでもなく、とても自然なわたしの作品なので、あれを、特に黒木の作品を凪葉で出していたらどんな風に思われていたのか、まぁ、今とは違うことは確実かなと。

黒木でコメントしているときは、凪葉のときよりもずっと気持ちが落ち着いていて、自然体だったように思います。

黒木を生むときに、わたしはいくつかの指針を立てたのですが、その中のひとつに掲示板を盛り上げよう、というのがありました。馴れ合いや、社交辞令のようなものばかりで、なんだかとても寂しい場所になってしまっていたので、微力だけれど、少しでも盛り上がればいいなって。

まぁでも結局それも色々とあり、今こうして極道の活動を休んでいるのですが。

コメントには突っ込まないでとのことですが、本質的なところは、割と変わってないようにわたしは思いますよ。

それと、わたしにとってどうでもいい、ということはないですよ。
ただ、わたしのことを尊敬するなら、もっともっと他に居ると思います。きっとまだ出会っていないだけです。
posted by mi | 2010/07/24 7:56 AM |
だったらなぜ、私にはじめてレスをくれた時に「元凪葉です」とも書いてくれなかったんでしょうか。そればかりか、どなたかが「黒木みーあって凪葉だろ」みたいなこと言ってた時に、「黒木さんは私じゃない」と返していましたよね。また別の人が「NOIRさんってみーあさんでしょうか」と言っていた時に「いいえ別人です」とも返していましたよね。でも、結局凪葉さんは黒木みーあさんと同一
人物なんでしょう?なぜですか?なぜ、このような嘘を書いたんでしょうか?何か納得させられる理由があるならおっしゃってください。ものすごく偉そうな言い方ですが、凪葉さんは星の数ほどいる書き手の中でも私が「この人だ!」と思った方の一人です。つまり、私の好きな詩人さんの一人なんです。このブログを見つけたのは最近ですが、それまで私は凪葉さんとみーあさんは別人だと思っていたわけです。「どう読めばいいの?」凪葉さんは他人の作品に対しこういったコメントをするような方ではないと信じていましたから(コメントの話については今メインの話題ではないので突っ込まないでいただきたいです。勝手で申し訳ありませんが)。あなたにとってはどうでもいいことだとは思いますが、尊敬していた書き手に半ば裏切られたような感じがして、私は少なからずショックでした。何かきちんとした理由はあるのでしょうか?
posted by 睡蓮 | 2010/07/24 12:44 AM |
睡蓮さん。水溜まりへわざわざありがとうございます。

ご質問の件ですが、
えーっと、はい。凪葉ですよー。もちろん多重人格でもないです。

posted by みーあ | 2010/07/23 6:15 AM |
やはり思い立った時に来たほうがいいと思いまして。睡蓮です。

単刀直入に言いますが、黒木みーあさんは、本当にあの凪葉さんなのですか?
書いてあるじゃねえかよ、とおっしゃるかもしれません。でも私にはどうしても信じられないのです。
posted by 睡蓮 | 2010/07/23 1:33 AM |
<< NEW | TOP | OLD>>