水溜まり。

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KKK-2 「 かさなりつづける、朝に」
とても久しぶりのKKK2回目。気まぐれでその時その時の気分次第なので、スタイルは毎回違うかもしれません。

とりあえず、
以下本文。


作者 : 望月 ゆき
作品名:「かさなりつづける、朝に」

 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


   枝分かれしていく 夜の
   長く、しなやかな腕は
   わたしを覆いながら それぞれ
   しだいにたわんで その先端からやがて
   着地し、朝に触れる
 
 
 
   不必要なほどに震える あなたの
   声と、指先が
   時折 わたしに刺さり
   痛みを上書きするので
   昨日の傷痕の理由さえ、もう
   思い出せない



   朝は ためらうことなく
   捨てられたすべてのものを
   回収していく
   そうやって世界は 美しく保たれる
   要るものも、要らないものも、



   わたしによって手折られた、枝を
   挿し木する所作で
   呼吸ははじまり、いつしか
   あなたが触れなかった その部分の
   体温だけが、ゆるく上昇していく
   そうして、うまれ続ける日々に あなたの
   「おはよう」の言葉さえ、
   単なる口癖にすぎなくなっていく


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


わたしの中で、うまく、言葉にできない作品に出会うと、すごいなって、思ったりするのだけれど、この作品が、まさにそれで、正直、うまく言えないのだけれど、はじめて読んだときに、詩の凄さのようなものを思ったりした。

詩を読むということを、思い、を掬いあげることとしてしまうところが、わたしにはあって、その、偏った観点からみると、この作品は、とても虚しく、かなしいきもちになる。

どうして、そんな風に感じるのか、少しだけ、考えてみた。



 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


   枝分かれしていく 夜の
   長く、しなやかな腕は
   わたしを覆いながら それぞれ
   しだいにたわんで その先端からやがて
   着地し、朝に触れる



朝に、着地するのは、「わたし」ではなく、枝分かれしていく夜。「わたし」は、この一連ですでに、その光景を、どこか遠い瞳で見ているんだなって、思った。朝に触れられない、「わたし」を覆う、夜の、長く、しなやかな腕。

作品全体を見ていると、「わたし」があり、「あなた」が居て、その間にある世界、があって。
「わたし」と「あなた」との距離は、どのくらいだろう。近いのに、遠い、ような、そんな感じだろうか。



 
   不必要なほどに震える あなたの
   声と、指先が
   時折 わたしに刺さり
   痛みを上書きするので
   昨日の傷痕の理由さえ、もう
   思い出せない


上書き、されてしまったものは、パソコンなんかだと、前のデータはもちろん見ることはできないのだけれど、人はどうなんだろう。
作品の良し悪し、というものは正直なところ、わたしにはわからない。けれど、最初に言った、思いを掬いあげる、という観点で話すと、わたしの場合、掬いあげたものの受け皿が、予めわたしの中にあると、すんなりと読める、し、こころにすっと入ってきたりすると思う。良いな、と思える。
それは、わかりやすく言えば、共感、なんだろうけど、喜びも、悲しみも、なんでも、当たり前だけれど人それぞれだろうから、その共感のラインすら超えて、つまり、受け皿から溢れてしまうくらいの思い、だと、わたしの場合、言葉にすることができないんだと思う。
周波数、という風に考えたりもする。わたしの場合。
周波数が限りなく合うと、ノイズが消えて、はっきりとする。わたしの場合、それは主に、虚しさ、や、かなしさの周波数だったりする。とってもネガティブなことだけれど。もちろん、それは一方的なものだけれど。
でも、それは仕方がないけど。

話を戻して、人は、どうなんだろう、と思うとき、上書きされても、消えることって、たぶん、ないんだと思う。仮に、上書きされたのが、痛みではなく、別の、たとえば喜びといった負ではないものであったなら、もしかしたら、ということもあるかもしれないけれど。
上書きされるんではなくて、ほんとうは、傷痕の上に、痛み、は、重なっていくんじゃないだろうか、と思う。

この連でも、やっぱり、「わたし」は、遠い瞳で、痛みすらみつめているような気がする。
それは、マヒしていくことと、似ているのかな。朝に、かさなりつづけるのは、日々であり、痛み、でもあるわけだけど、
どんなことでも、つづいていけば、マヒ、したように、感情がゆらがなくなって、でも、ほんとうにマヒするわけではないから、ゆらぎは、ある。けど、そこまで辿りついてしまうと、人は、今度はどこに向かうんだろう。

思い出せない、と言う「わたし」のこころは、どこに?





   朝は ためらうことなく
   捨てられたすべてのものを
   回収していく
   そうやって世界は 美しく保たれる
   要るものも、要らないものも、


朝は美しい、と思うとき、そこにはなにがあるのか、思いを巡らせてみた。
朝、の象徴は、シンプルに考えれば、ひかり、つまりは朝陽なんだろうと、思う。時々、朝陽を見ていると、なにもかも、持っていかれてしまったような、そんな、きもちになることがあって、だから、この連の、回収していく、というのは、なんだかすごくわたしに馴染んだ。

捨てられたものは、たとえば何だろう?
「わたし」の内側だけではなく、すべての、世界のすべての、捨てられたもの。なんだかそんな気がしてならない、のはなぜだろう。

もしかしたらほんとうは、回収するのは、朝ではなくて、「わたし」であるのかもしれない。
夜勤ではなく、仕事でも、もちろん学校でも、なんでも、朝ははじまりであることが多いと思う。はじまる朝に、人は、無意識のうちに、その朝をはじめるために、夜の間、ちらかした思いや、憂い、喜びも、すべて、回収しているんじゃないだろうか。要るものも、要らないものも。
と思ったりもする。

そうやって、保たれる世界は、美しい、のかは、きっと、だれにも、わからないんだろうな。





   わたしによって手折られた、枝を
   挿し木する所作で
   呼吸ははじまり、いつしか
   あなたが触れなかった その部分の
   体温だけが、ゆるく上昇していく
   そうして、うまれ続ける日々に あなたの
   「おはよう」の言葉さえ、
   単なる口癖にすぎなくなっていく



呼吸、というのは、生きているものすべてがするものだけれど、この、「呼吸」は、息を吸い、吐く、といったものだけの意味ではなく、その本質の、生きていく、というものも含まれるような気がする。
そんな風に考えると、「わたし」の「呼吸」は、「わたし」によって手折られた枝を、挿し木する所作でしか、できない、という、息苦しさのようなものが、見えてくる。(文のまんまだけれど)

「あなた」が触れなかった"その部分"は、どの部分なのか、というのは、もしかしたらその、「呼吸」、の仕方から、遡ったところにある、深い、ふかいところなのか、な。とわたしは思ったり。

そうして、うまれ続ける日々、とは、今までの連も含まれてるんだろうな、とてもわかりやすい。と思う。

最初からずっと言っていた、遠い瞳、という言い方をしていたものが、この連で確かなものになっているような気がする。つまり、
「おはよう」の言葉さえ、
単なる口癖にすぎなくなっていく
ということなんだろうな。
かさなりつづける、朝に、うまれたもの、そのことを考えると、うまく、言葉にできないきもちになったり、する。のはわたし、だけか。最終連、かなりネガティブに捉えてしまっているなと、自分でも思いつつ。


日々も、かさなりつづけたら、いつか、耐えられない重さになるのか、と、そんなことにまで、なんだか思いが巡ってしまって、だからなのか、とても、とても虚しく、果てないもののように、思うのか、


この作品は、難しい言葉なんて、なくて、言葉ひとつ、ひとつが、とても強く、芯がある。と思う。
さんざん、いろいろ感想を言ったけれど、言葉は、なぜかゆらいでいない。
ある意味で、それがとてもこわい。
こわいくらいに、かなしい。と言うのは、ちょっと言いすぎだけれど。

わたしの中に、ふかく、ふかく沈んでいくような、そんな作品。
思いは、どこにいくのか、なんだかぽかりとしてしまう。

望月ゆきさんのしなやかな感性と言葉の強さに、圧倒されてしまう。
ほんとうに、溜息がでてしまうほどに、好きな作品です。

と、いうことで、めちゃくちゃな文章ですがこの辺で。
もし、でなくてもいいのですが、
文句でもなんでも、それどうなのよ?とかでも、(見ている人がいたら)なにかあったら気軽に言ってくださいね。
では、では。


| 18:57 | KKK | comments(2) |
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Comment








かせやんこんにちはー。
KKK、たしかになんだか物騒ですね。
キモい!臭い!汚らしい!みたいな、ね、笑。

隠喩、ですかー、うーん。わたしも隠喩って苦手なんですが、あれ、そうなるとおかしな話になりますね。あれれ。
いやでも、わたしの読み方は大分偏ってる気がしますよー。もし望月さんにこんなの書いてるのばれたら、こんにゃろー!ってな感じの修羅場が起こるかもしれません!


わたしも、詩はまったく読めないですよー。文極でも、なんだか悪いコメントばかりしてる気がして、内心げんなりですし。でも嘘つくのもいやですし、
でも思ったこと書くとああなってしまって、
困った。という感じです。

かせさんの読みって、凄いなぁっていつも思ってます。わたしにはできないですからね。
かせんはかせさんの思うままでばっちしだと、わたしは思っています。
では、では。
posted by なぎ | 2009/09/27 7:40 PM |
おつかれさまです。なぎはさん。
お待ちかね、KKK第二弾ですね。そして、KKKという物騒な名前とは裏腹な記事!ブラックな笑いですね。意味がわかりませんね。

この詩、わたしには隠喩がきつすぎてさらっと読んだ感じでは「むつかしーわ!」って感想でしたが、凪さんの文章を読んでおばかな私もわかった気にはなりました。んー、でも、むずいな。苦笑

ちなみに、わたしがおもろいと思った箇所は、一聯の「枝分かれした夜」が、最終聯に「接木される枝」として具象化するところ。この転換はさらっと書いてるけどすごい。一聯の「夜の腕」、二聯の「あなたの指先」みたいな、メタファから身体感覚へのずらしとかも面白いと思いました。

ここのところまったく詩が読めないので、人様の詩の読み方を読むのが楽しいです。
posted by こ | 2009/09/26 10:48 PM |
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